縄文杉傷付けに思う

 ここ数日、ニュースで屋久島の縄文杉が十数箇所傷付けられていたと報道されている。こんな馬鹿者がいるとは情けないことであるが、この件で中学校で行った修学旅行の事を思い出した。修学旅行では東大寺の大仏殿に行ったと思うのだが、その時、太い柱等へ何と落書きの多かったことか。非常に印象に残っている。それをそのままにしている方の神経も分からない。する方もする方なら、放置する方も放置する方。要するに日本人全体がおかしいのではないか。

 大分前に「人の命は地球より重い」と言う言葉が流行った。人質を取られたときに日本政府が超法規的処置で殺人者とかを釈放した時にもこの言葉が使われたと思う。しかし、本当に「人の命は地球より重い」のか? 縄文杉より重いのか? 文化財より重いのか?

 冷泉家だったか、戦国時代に彼らは自分達の家にある文書類を始とする今で言うところの文化財を疎開させていたらしい。戦いの度に結構な距離を運んでいたみたいなので、その苦労は凄かっただろうと思う。山道では盗賊とか、山賊とか、うじゃうじゃいただろうから命懸けだっただろう。即ち、現在、文化財とか言われているものは、多かれ少なかれ過去の人間の命懸けの働きの結果ではないのか?

 そういうことを理解したら落書きをしたり、傷付けたりできないはずである。「人の命は地球より重い」のなら「人以外のものも地球より重い」のである。「人」即ち、お前の命が地球より重いのなら、お前以外のものも地球より重いのである。

 欧米の個人主義がはびこり、「人の命は地球より重い」の「人」を「自分」の事だけを意味すると勘違いしてる輩が多いような気がする。それにしても先日、生活保護もらえずに餓死した人もいるし、都市にはホームレスがうじゃうじゃいるし、何が「人の命は地球より重い」だ。ちゃんちゃらおかしい話です。これが、現在の人間の本心でしょう。やるか、やられるか。思いやりなんか、くそくらえ。小泉はもっと勝ち組と負け組みの世の中にしようとしているし。

 自民党の愛国心強制や教育基本法の改正には反対だが、現在の教育がどこか間違っているのは確かだ。個人も大切であるが、それと同等に他のものも大切。流れる歴史の中で将来に対する責任も大切。過去の文化の継承も大切。

 そこで、どうすればよいのか。(出来ないとは思うが)やった人間の懲役刑等の厳罰は当然として、必要なら縄文杉の脇を通る登山道を完全閉鎖するのも一つの手。要するに日本国民がまだ、文化財の価値を理解するレベルに達していないのなら、それも当然の処置だろう。また、環境省も指導員や監視員を置くとかするべきである。必要なら縄文杉の脇に番小屋を作って、見学料を1万円位取ったら良い。

 大体、観光案内の写真を見て、現物を見ると「何だ、こんなもんか。」とがっかりすることが多いが、縄文杉を見たときには、その神々しさに感動した。そういう感性を持っていれば、傷付けるなんて出来ないことだと思う。

 神道は基本的に古い時代の名残を残す宗教で自然に対して、恐れ敬うと言う気持ちを持っている。昔は日本人の多くが、この気持ちを持っていたのではないか。神社に森が残っているのは、この所為だろう。

 これから人間が自然からしっぺ返しを受けようかと言う世の中にあって、人間が持たなければならないものは、欧米の合理主義、個人主義ではなく、まず、自然を恐れ敬う気持ちではないのか。

 ああ、情けない、情けない。情けないとしか、言い様の無い自分がまた情けない。

2005年5月29日記

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